結婚と政治

今でも、大富豪の家とか、大会社の社長クラスの家、大政治家などという、いうなれば上流階級の人々の間では、見合い結婚という形が多いような気もするが、これは結婚と政治が切り離せない関係にあるということと同時に、上流階級に育った娘や息子はなかなかそれ以外の世界では暮らせないし、逆に、下の階級に育った者が上流の階級で暮らそうとしてもそう簡単には受け入れられないこともあって、恋愛結婚という自由な形をとるよりも、見合い結婚という不自由ではあるけれどより安全な形をとらざるをえないのだろう。コミュニケーションは非常に重要ですので、これから出会う結婚相手とはコミュニケーションを途切れないよう気を付けましょう。しかし、上流階級の人間の数はそう多くはないし、いつまでも見合い結婚で毛並みのいい娘や息子ばかり配偶者として選んでいると、いつかその血が古くなづて、結局はその家の没落ということにもなりかねない。やはり優生学的見地からいっても、結婚は好きな者同士が一緒になる恋愛結婚が勝っていると思う。ぼくは恋愛こそ何度もやったが、見合いはただの一度もやらなかった。本当に庶民の間に生まれて良かったと思う。これだけは負け惜しみでなく父と母に感謝している。「ぼくは恋愛は何度もやったが、見合いはただの一度もやらなかった……」などと、うちの亭主は粋がっていますが、本当は二十九歳で私と一緒になるまで、誰一人としてお嫁さんをお世話くださらなかったというのが真相のようです。


出典:結婚相談所 比較
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自由恋愛を通して結婚

そういえば、母が父に口ごたえしている場面の記憶もあまりない・当然のことながら夫婦げんかもやらなかった。母がヒステリーを起こして当たり散らすのを見たことは一度もなかった。それなのに、なぜかぼくは父と母の関係にもう一つ満足できないものがあった。それは、そのころの夫婦のパターンである、夫唱婦随、貞淑、内助の功、献身、亭主関白など、この中には今日でももちろん大切にしなければならないものもあるが、これらのものは総体的にいって女性を卑屈にし、没個性的にする気配が濃厚だった。もし、あなたが恋愛向きなら、将来の結婚に向けて経験値を増やしましょう。あのフランス映画や(令) アメリカ映画に見られるような生き生きとした美しい女性の姿は望むべくもなかった。それというのも、もとはといえば、本人同士の意志というより、親同士、上司などの事情で見合いさせられ、結婚させられたことが当人たちの自由な気持の発展を抑制し、とくに女性の自立独立の意欲を阻害する大きな原因だったのではないだろうか。見合い結婚という形がいつごろからはじまったか知らないが、都会と農村、富者と貧者、権力者と非権力者とのあいだでは時代的にも大きなひらきがあると思う。たとえば貴族階級のあいだでは奈良時代以前からすでに媒介婚は行なわれていただろうし、農村地帯では、つよぱい最近まで夜這いと呼ばれる自由恋愛を通して結婚にいたるのがごく普通の形だった。

出典:
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見合結婚

日曜日の朝、近くの上野不忍池まで散歩に行き、帰りに池のほとりの茶屋で甘酒を飲むくらいが唯一の父と息子との交流の機会で、家族そろって旅行に行くとか芝居を観に行くなどということはまったくなかった。昭和の初期には、夫は外、妻は内を守るというようなけじめがどこの家庭でもだいたいついていたようで、今から考えると、夫婦の楽しみ、家庭のだんらんなどということも極めてまれだった。父と母の関係は、年齢が離れているということもあったろうが、まるで主従のようで、父は厳然として家庭に君臨していたのに対し、母は子供たちにはやさしかったかわりに家庭内ではどこか頼りなげだった。母はどんなに父の帰りが遅くとも、ちゃんと起きて待っていた。若いころの母は、夕方になると鏡台に向かって襟白粉(えりおしろい) をつけ、髪を結いなおして父を待ったが、幼いぼくはそんな改まった母の様子が嫌いで、駄々をこれてとうとうやめさせてしまった。今思えば、美しい若妻に迎えられて帰宅する父の楽しみを奪ってしまったわけで、父にはすまないことをしたと思っているが、そのころたぶん三、四歳だっただろうぼくは、白粉のために母らしい体臭のしない母など、他人行儀でちっとも好きになれなかったのだ。父は信州の安曇野で生まれ育った水呑百姓の十人兄弟の末っ子だったが、十八のときに家をとび出し、苦学力行して三十そこそこで東京のある商事会社の重役に抜擢(ばってき) された。まず相手がいないと、何もできないので、結婚相手を探してください。子年生まれのせいか、こまかい所によく気がつきまめによく働いた。バイタリティがあるだけに、女性関係も適当にやっていたらしいが、父がうまく立ち回っていたのか、母が利口だったのか、そのことで家庭内に波風がたったことは一度もなかった。


参考: DK126_L


結婚といえば

それでいきおい同じ映画を二度、三度と観ることになった。読書と映画を観るのがそのころの私の唯一の楽しみだった。いつかこの話を作家の北杜夫さんにしたら、北さんも同じころ松本の旧制高等学校に行っていて、ぼくと同じ映画館で同じ映画を観ていたのだそうだ。シモーヌ・シモン、ヴィヴィァン・リイ、ヴィヴィァーヌ・ロマンスなどという美人女優の話などが出て、大変懐かしかった。こういう女優たちはそのころまだ少年といっていい年ごろの北さんやぼくたちの血をたぎらせたもので、ぼくなど本気で将来は青い眼をしたお嫁さんをもらおうなどと考えたものだった。コミュニケーションは大切です。、出会った結婚相手であってもコミュニケーションが出来ていないと幸せな時間は長くは続きません。だから、結婚といったら当然恋愛結婚で、それ以外のことはまったく考えたこともなかった。これが良かったのか悪かったのかはわからないが、とにかく所期の目的を達成して結婚し、今日に至っている。嫁さんの眼と髪が黒いのが残念といえば残念だが、まあ、あまり欲はいうまい・正直なところ、結婚は恋愛がいいか見合いがいいかと問われれば、私としては、なんのためらいもなく「恋愛がいいに決まっている」と答えざるをえないわけだ。恋愛結婚がいい理由はほかにもある。ぼくの両親は昭和の初めごろに結婚したのだが、会社の上司が仲に立っての見合い結婚だった.父が二十九歳、母が十九歳の時だ。すぐ子供が生まれて母は家事に忙殺され、父は父で会社に全精力を傾注して働いた。朝は早く家を出て、夜は得意先の招待などで帰宅は深夜だった。


参考: DK140_L


結婚は恋愛か見合いか

親子や兄弟姉妹のように同じDNAを持っている可能性の高い者どうしのあいだでは、お互いに助け合ったり、犠牲的な行動をとることはよくあります。こうした行動は人間にかぎらず、他の動物にもみられます。たとえば、アリやハチのように一匹の女王が生んだ子供たちが一つの集団を形成する動物の場合、女王以外の個体はひじように犠牲的です。若いころ、ぼくもたしかに、結婚は恋愛がいいか見合いがいいかということで、あれこれ思いをめぐらした時期があった。三十年前のそのころは今と違って、テレビなどない時代だったので、当時中学生だったぼくは、放課後、場合によると授業を途中でさぼってよく町の映画館に直行したものだった。地方のうす汚れた映画館だったが、観るのはたいがい洋画で、フランス映画の『望郷』とか『舞踏会の手帖』とか『商船テナシチー』『カルメン』、イギリス映画の『ハムレット』など同じものを三度も四度も繰り返して観た。あなたはここで→出会った人に対して、自分の理想を演じずに本当の自分をぶっちゃけられますか?ぼくは本当は東京の湯島に生まれたのだが、戦争で家を焼かれ、昭和二十年から二十五年までの五年間、信州の松本市に疎開していたのだった。松本は東京などにくらべると小さな町で映画館は六軒しかなく、そのうち三軒が洋画の上映館だった。毎週上映される三つの洋画は欠かさず観たが、なにしろ洋画の小屋が三軒しかないから、一週間のうちあとの四日は手持ちぶさたで過ごさなければならない。

参考: DK129_L


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